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山本英子のエッセイ

日々の音楽教育や演奏活動、暮らしの中で感じたことを綴っております。

2008. 9.20 Essay 3  「 ママはイラクへ行った 」
2008. 8. 1 Essay 2  ある女性大学講師の話
2008. 7.30 Essay 1  ピアノのレッスンの意義


Essay 3
『 ママはイラクへ行った 』

 イラクに駐留する米軍の中には、かなりの数の女性兵士が含まれていて、自分の幼い子どもをアメリカに残して任務についている母親も多いそうです。NHKテレビの番組『ママはイラクへ行った』の冒頭で知ったそのことだけでも、私にとってはかなりショックでしたが、その番組の主旨は、「テロとの戦い」や「イラクの復興」という大義名分のための長期間の危険な任務が、女性兵士の心や家庭に想像以上に大きなダメージを与えている、という現実を伝えることでした。


 3年前にイラクから戻ったある女性は、当時は独身でした。イラクでの任務の折にふれ、現地の子どもたちにキャンディーなどをあげたときの、嬉しそうにキラキラ輝く瞳が忘れられない、と言います。
 しかし、あるとき、そのような子どもたちに混じってニコニコしながら手を振っていた少年に手を振り返そうとした次の瞬間、いきなり、その少年は彼女を銃でねらって撃ってきたのです。

 何が起こったのかと混乱し、目の前の出来事が信じられない一方で、とっさに「自分を守らなければ」という気持ちが働き、彼女は撃ち返さなければなりませんでした。

 なんと、そのとき彼女が撃ち殺してしまったのは、わずか12歳の少年だったのです。その事実に衝撃を受けた彼女は、
「自分は人々の平和のためにイラクへ来たのに、なんていうことをしてしまったのだろう!」
と自分の行動を責め、PTSD(心的ストレス障害)となり、帰国後もずっと治療を受け続けています。

 それから運よくか悪くか、治療を受けていた彼女を理解してくれた男性と結婚し、1年前に男の子が生まれました。ところが、イラクで撃ち殺してしまった少年と自分の子どもとが重なり合い、
「少年を撃ち殺してしまった自分には、母親である資格があるのか?」
という自問や悪夢にさいなまれ、子育てに向き合おうとしてもパニックになってしまいます。

 結局、彼女は入院。夫が子どもを連れて面会に訪れても、子どもに対して口では「ママよ、愛しているわ」と言いながらも、行動はちぐはぐで、母親として母親らしい態度で子どもに接することができず、いらだったり、涙ぐんだりしてしまいます。
 「本当の母親になりたい」と強く訴えながら治療に専念する一方で、今は、離婚に向けての話し合いも進行しているのだそうです。


 もうひとつのケースは、離婚して8人の子どもを育てている40代のの母親兵士です。すでに3年前に、小学生を含む子どもたちをアメリカに残して、イラクでの半年間の任務を経験しています。
 しかし、その任務の時期は、イラクで米兵が標的にされる事件が相次ぎ、彼女自身も危ない目に遭ったり、攻撃で味方が大勢犠牲になるのを何度も目の当たりにしてきました。「何を信じてよいのか、全くわからなかった」という彼女は、かたくなに心を閉ざした状態で任務を終え、帰国。それ以来、どうしても威圧的な話し方になってしまい、子どもたちとも以前のような普通の親子の会話すらできず、周囲と心を通わせることができず、ただもくもくと任務や仕事をこなしています。

 その彼女に、2度目のイラク任務、それも、今度は1年間の任務が決まりました。イラク任務が危険であることを理解し始めた末っ子の小学生の男の子が、
「どうして、ママがイラクへ行かなければならないの?」
と、母親の気配を伺いながら繰り返します。そばにいる中学生の娘は、母親から目をそらしながらも、やはり母親の気配を伺い、じっとしています。
「イラクの人たちが平和に暮らせるようにするために必要な任務なのよ」
と、母親は事務的にきっぱりと言いました。
でも、沈黙の中で子どもたちをじっと見つめる彼女の目が、次第にうつろな表情に変っていきました。まるで、
「自分の子どもたちだって母親と暖かい家庭が必要なのに、そのすべてに犠牲を強いてまでして、またあの恐ろしい戦場へ行かなければならないのだろうか?」
という疑問がふつふつと湧き上がってきたように見えました。


 ・・・すぐにTVのスイッチを消すつもりでいたのに、逆に、吸い込まれるような気持ちで番組を最後まで見てしまいました。

 米兵を撃ち殺そうとした12歳の少年は、その「過去」にどのようなことがあったのでしょうか? 
 きっと彼は、生きることのできた12年の間に、米兵を撃ち殺さなければならなかった動機になるほどの悲劇を経験しなければならなかったのでしょう。あるいは、反米組織によって「洗脳」されていたり、「食べる」ためにそのような組織の言いなりになるしかなかったのかもしれません。

 また、アメリカに残され、親のいない家で長期間すごさなければならない、兵士の子どもたちを思いやる時、その子どもたちもまた、寂しさや不安で心に傷を負ったまま大きくなっていき、後々までその傷に苦しまなければならないのでは?という心配も起こります。

 表面には出てこない、それぞれが抱える傷の奥深さを垣間見た気がしました。

2008.9.20.





Essay 2
ある女性大学講師の話

 私が財政論の講義を受けた女性大学講師のことをお伝えします。
 その女性は、専門がアメリカ財政研究です。優しそうで華奢な雰囲気からは想像ができないほど、歯切れ良く理論を展開するのですが、その全く気負いのない自然な様子に、私はとてもカッコいいという印象を持ちました。
 その彼女が大学の教壇に立つようになったいきさつを、後から人づてに知ることができました。
  
 それまでのごく若いころの彼女は、特に学問を究める気持ちはなかったようで、結婚後も引き続いて、普通に会社勤めをしていたそうです。

 で、ある時、時間のやりくりをしてお姑さんにセーターを編んでプレゼントをしたのですが、その、手の込んだ手編みのセーターを見て、お姑さんはこう言ったそうです。

 「どうもありがとう。でもね、あなたはもっと自分が得意とするやるべきことがあるはず。限られた時間を、自分にふさわしく使うべきよ。」

 手際よく丁寧に何でもこなしてしまいそうな彼女の編んだセーターが、お姑さんにイヤミでそんなことを言わせるほど下手な出来ばえだったとは、とても考えられません。  
 きっと、お姑さんは、お嫁さんのことをよく見抜いていたのでしょう。また、それをすぐに聞き入れた彼女の素直さも素晴らしいと思います。

 その言葉を聞いた彼女は、自分にとって何をすることが最もふさわしく大切であるかを考えた結果、会社を辞め、大学の通信教育の経済学部に入学して勉強を始め、卒業率3%を突破して卒業します。その後、大学院も修了し、アメリカ留学も経て、現在の大学講師の職に至ったのです。

 この経緯を聞いた時、もしかしたら、とかく私たち女性は、しなくてもいいようなことにまで気をまわし、手をかけ、時間を費やしてしまうことが多いのではないか?と、心配になりました。 
 いつも何となく「家族のため」とか「主婦なんだし」と考えて行動し、結局「家族のために時間とエネルギーを使ったら、自分のための時間もエネルギーも残っていない」というむなしい状況が毎日続いてしまうことになります。
 その上、悲しいことに、「できないことの理由」を並べ立てて自分も周りも納得させる技術だけは、年を追うごとに着実に進歩していたりするものです!
 
 しかし、そこで「しようがないから」と自分自身の想いを切り捨ててしまうのは、恵まれた今の日本のような国では、もったいない気がします。
 かと言って、その女性講師のように、自分で意思決定をして実際に一歩を踏み出すのは、かなり勇気がいることですし、また、そのまま歩み続けるためには、相当な根気と強い信念が必要です。

 それでもやはり、「1人分の人生の中での限りある時間とエネルギー」は、彼女のように決断のチャンスやきっかけを逃さず、その機会が訪れたことを素直に受け止めて、その使い方に大胆な修正を加えていく必要があるのだと改めて感じました。

2008.8.1.

Essay 1
ピアノのレッスンの意義

 いきなり、ちょっと堅いタイトルですが、生徒さんと接していて、よくこんなことを考えます。

 「ピアノを習うことによって、どのくらいハッピーになれるか・・・?」

 このよう書くと、誤解される可能性もありますが、ここでいう「ハッピー」は、もちろん「おもしろおかしい楽しさ」とは違います。なぜなら、ピアノを習う、ということには、必然的に「毎日の練習」がついてまわることになるのですから、どう考えたって、また、どんなに上手くピアノを弾ける人にとっても、毎日のピアノの練習は、そう楽しいことばかりでありません。
 どちらかというと、ふつうは「大変だな」「めんどうだな」と思いながら練習することの方が、きっと多いのではないでしょうか? 

 つまり、「練習をする」ということは、

 「自分の『出来ないこと』『困難なこと』に取り組む」

ことであり、それによって、本当は直視したくない「自分のイヤな面」に向き合うことになります。
 自分にとってイヤな面は、できれば見ないで済ませていたいものです。でも、どんな分野であっても「勉強」「練習」「トレーニング」・・とは、ある意味、自分のイヤな面に向き合い、その改善に取り組むことです。
 そして、その改善が達成されたとき、次元の高い「ハッピー」が訪れます。

 「ピアノを習う」ということは、通常、次の一連の3つの作業の繰り返しです。

@ レッスンで、指示や注意を受ける。
A 指示や注意に従って練習をする。そこで、指示や注意どおりになかなか弾けないもどかしさを味わう。
B 練習の繰り返しを経て、「弾けた!」という達成感を得る。そして、出来るようになったことを先生から確認してもらう。
 
 AであきらめることなくBへ到達する『頑張り方法』を何度も経験することによって、

 「自分に対する自信」
 「もっと上手になりたいという、上昇志向」
 「他の分野でも応用して使える、頑張り方法」

を得ることが期待できるのです。

 特に小さな子どものピアノのレッスンの場合は、ほんの少しずつ頑張らせてみて、ほんの少しでもうまく弾けたらたくさんほめてあげましょう。まずは、「できた」「弾けた」「先生がほめてくれた」という小さな達成感の積み重ねから、「自分に対する自信」を持てるように誘導してあげます。それが、その先の上昇志向や、自分なりの頑張り方法へと、長い時間をかけてつながっていきます。

 こうやって、自分と向き合う機会を持つこと、それだけでも、「ピアノのレッスンの意義」があると思うのです。

2008.7.30.